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九相図 

先日・・と言っても半年ほど前ですが日本に帰り成田からライナーで上野に向かう車内で
空いた時間を利用しコンビニで雑誌を買って読んでいました。
その記事の中に、【京都 六道の辻 この世とあの世を繋ぐ】 と題した読み物が2,3枚の写真と文章で
2ページに渡り載っていました。
六道の辻・・・どこかで聞いたことが・・と思い出すと仙台にも同じようなのがあった気がします。
はてさて、面白そうではあるのですがちょっとネットで確認すると詳細がない。
しかし、
ネットで見ていたそこから九相図なるものに行き着きました。
九相図(くそうず)とは屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画とあります。
初めて聞いた内容に興味を持ち調べて見ることに・・。
ちょっとお付き合い下さいね。

九相図とはその名前の通り9枚の画で構成され、その内容とは

脹相(ちょうそう) - 死体が腐敗によるガスの発生で内部から膨張する。
壊相(えそう) - 死体の腐乱が進み皮膚が破れ壊れはじめる。
血塗相(けちずそう) - 死体の腐敗による損壊がさらに進み、溶解した脂肪・血液・体液が体外に滲みだす。
膿爛相(のうらんそう) - 死体自体が腐敗により溶解する。
青?相(しょうおそう) - 死体が青黒くなる。
?相(たんそう) - 死体に虫がわき、鳥獣に食い荒らされる。
散相(さんそう) - 以上の結果、死体の部位が散乱する。
骨相(こつそう) - 血肉や皮脂がなくなり骨だけになる。
焼相(しょうそう) - 骨が焼かれ灰だけになる。

と有りました。

文章だけ見ると棘々しいのですが、では何時から何の為に誰がこういうのを起こし後世に残したのかを
確認してみましょう。

九相図は、仏門で学ぶ修行僧らに人体という物体が滅んでいく姿を見て全てが無であることの教えと、
現世では肉体というのは不浄なものであり無情であると説くために利用された。
そしてこの教えは大陸(現中国)内部から伝わった文献も有るそうです。
日本へは奈良時代から伝わり、鎌倉時代から江戸時代にかけて屍観想図(九相図)が広まり後の九相図へと
なったようです。
そしてこの九相図には決まった画柄等はなく、画から放たられる雰囲気を利用され、しかし画に描かれた肉体を
表現するのは女性(美女?らしい)と決まっているようです。では少しネットから画を引っ張りだしてみましょう。
今回用意できたのは、京都市左京区の浄土宗安楽寺にある九相図。平安時代の美女と言われる小野小町を題材に
画は描かれているそうです。(※先にある九相図と若干言い回しが違ってます、それと生前相の写真は同寺にはないです)

①生前相(生前の様子)
これだけは秘蔵品とは違います。一般的に見慣れた該当者の画です。
ies_1002001.jpg

ies_1002002.jpg

②新死相(死体となった様子)
ies_1002003.jpg

③肪脹相(死体が腐敗によるガスの発生で内部から膨張する様子)
ies_1002004.jpg

④血塗相(死体の腐敗損壊が進み脂肪・血液・体液が体外に滲みだす様子)
ies_1002005.jpg

⑤肪乱相(死体自体が腐敗により溶け出す様子)
ies_1002006.jpg

⑥青?相(死体が青黒くなる様子)
ies_1002007.jpg

⑦?食相(死体に虫がわき鳥獣に食い荒らされる様子)
ies_1002008.jpg

⑧骨連相(死体が⑦によって血肉が無くなり骨が散らばる様子)
ies_1002009.jpg

⑨古墳相(死体がほぼ無くなり残った一部が土に帰る様子)
9.jpg


(昔の人にもサデスティックな人がいたんですね・・・)

この画は実際に小野妹子を描いたわけではないのでしょうが描写から実際にその原型があったと思われます。
それは毎日のように目にすることができるという環境に下にいる事。
目で見えるから願望という欲が生まれるとレクター博士が言ってました。(すいません・・これは映画の話です)

しかし腑に落ちない事がひとつ。
数字が1から始まるのと同じで、この教えの中に誕生という概念がない。いくら調べようと出て来ない。
誕生があり死を迎えられるのあれば、誕生によって欲や煩悩が植え付けられるなら、それを説く法や画も
あって良いと思うのは私だけでしょうか・・。(その点でインドは先進国ですよね)
生きていると言う事から死への思いは想像だけですが、その死に様を見ることで何かを悟らせるんでしょうね。
まぁ、仏教は死を見つめる教えとも言いますからね。

人が生きていくことは修行であり苦行である。と、云われる通りで人の最後は灰になり土に戻る。
死にたくないと思いながらも近づく最期に対し気構えと現世での煩悩を捨て去らなければならない。
生きている時代が違っても生と死というのは変わらない。変わらないからこそ生きている間に死への準備を
しなければならない。それはあらゆる欲を捨て煩悩を捨る事であるということ。
生きているのでは生かされている。もし今の貴方が何かの境地にあっても、それは今後貴方がやらねばならない、
貴方だから出来る何かがそこにはあるから。

人を好きになる。
人から好かれる。
人から妬み恨まれる。
人を妬み恨む。
人の物を欲しがる。
人から物を欲しがられる。

一人なら何も無い事でも二人になったら欲や性(煩悩)が生まれる。これが二人、三人、四人・・と増えるとどうなんでしょう?
ブラックホールにでも迷い込んだが如く次から次へと何かしらの欲が生まれてくる。

まぁ、最期は仏教の教えでもある煩悩を捨て・・・という事になるんでしょうね。
京都は不思議な街です。日本に帰ったら何日間かで旧跡を含め巡ってみたいと思います。

後記・・・
読んでいて何か気づきませんでしたか???
この九相図が大陸から渡来した事を踏まえ、私のブログで数年前の記事を読んでみましょう。

【凌遅刑】

この九相図(屍観想図)は日本の奈良時代に渡来した事。
奈良時代は中国では唐の時代、まだ凌遅刑が行われていた時代。
凌遅刑は1刀づつ生者の肉を削ぎ落とし、数日に渡り刑が執行される事。
少し怪しいというか、これで繋がりがあるなら面白いですね。
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