最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
プロフィール

eleanor

Author:eleanor
eleanor

    
    

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

北海道 三毛別村の悲劇 



日本にいる野生動物で凶暴であるとされる熊。日本にはどのような熊がいるのかご存知と思います。
【月の輪熊】
kumamap1.jpg

北海道を除くほぼ日本全域に生息している月の輪熊。平均的な個体で頭胴長(頭の先からお尻まで)は110~130センチ、体重はオスが80キロ程度、メスが50キロ程度です。個体差や季節の変動が大きく、小さい場合は約40キロ、最大で約130キロになります。記録によると、1967年に宮城県で捕獲されたオスは、体重220キロもあったといいます。それでも世界のクマ類と比べると小型~中型になります。

【ヒグマ】
kumamap2.jpg

北海道にはヒグマが生息します。成獣で頭胴長(頭の先からお尻まで)は200~230センチ、体重は150~250キロとされています。ツキノワグマと同様に,オスの方がメスよりも大きくなります。記録によると、2002年に斜里町で捕獲されたオスは、体重400キロもあったといいます。
それぞれ野生の熊は冬は冬眠し春先に植物の新芽が出る頃に巣穴から出て来ます、しかし冬眠の前には栄養を蓄えるため、特にヒグマは雑食性で大凡何でも口にします。

得てして動物には習性というか、持って生まれた性が有ります。それは人とて同じ。性格や人格は中々変わらないもの・・。それが動物となると特有の行動習性が有ります。今回は熊と言うことで一般的な熊の習性を挙げてみましょう。
※食性について
基本は雑食です。
春:冬眠明けでザゼンソウ、フキやセリ科などの植物。
夏:セリ科などの植物、アリやザリガニ等も食べます。野生の実、果実も食べます。
秋:クルミやドングリを中心に食べ冬眠へ向けた栄養貯蓄をし川魚等も食べます。
(北海道では野生のエゾシカが食されています)
※行動
夜間を含め日中の行動も見られますが人間を避けて藪などに隠れて行動することが多いです。
逃げるものを追いかける習性を持ち時速50km程度で走ることができる。また視力よりも嗅覚がすぐれています。
一方では学習能力が高く、一度食し味を覚えるとその食べものに執着する。トウキビや果樹、人の出す生ゴミなどの味を覚えると繰り返し食そうとする、また食したモノは土をかけて占有しシカなど一度に食べきれない餌は、土をかけて自分のものとします。
上記の内容は熊の個体種類に囚われずに熊というだけで習性は然程変わらないようです。
昔は熊と出会ったら死んだふりをしなさい・・とか有りましたが決して有効では有りません。熊と出会って熊が立ち上りでもして2m超えていたら足がすくんで動けなくなるでしょうが、熊対策を講じてない場合は目を離さず大声も出さず荷物を置き後ずさりしながらゆっくりと行動するようにと推奨しています。背を向け逃げると追いかけてくるので注意ですが、もし下り坂を逃げるなら急には止まれないので有効であるかもしれません。。
さて、ここまでで熊の食生も含め行動習性を理解されたと思います。


ies_1044001.jpg


【1915年11月~プロローグ】
1915年11月初旬、北海道六線沢村に住んでいる池田富蔵という家の家畜小屋から始まった。夜中に家畜の馬が激しく鳴いているのを富蔵夫婦が訝しみ寝床から起きて見に行くも、暗くて何も見えない、がしばらくすると馬も落ち着いたため再び夫婦は就寝した。翌日、妻が慌てて富蔵を呼びに来ると軒先に干してあったとうもろこしが食い荒らされ、敷地内のぬかるみは山へと戻る巨大な足跡が残っていた。富蔵は直ぐに熊というのが解り家畜被害を恐れ近所からマタギを呼び駆除を求めた。マタギも応じて富蔵の家に待機するが現れずマタギらは熊は冬眠したのだろうと判断し自宅へと帰った。その時のマタギらとの会話で足跡の大きさから、かなり大きい「穴もたず」と判断され、その凶暴性が危惧された。

ies_1044002.jpg


【1915年12月9日】
月が明けた12月9日、三毛別川上流に伐採を生業とする太田家に居候する長松要吉が一足早く仕事に向かい、当主の太田三郎も氷橋に用いる桁材を伐り出すため出掛け、三郎の内縁の妻である阿部マユと太田家に預けられていた少年・蓮見幹雄の2人が家内で穀物の選別作業をしていた。
同日の昼、居候の永松要吉が食事のために帰宅すると、少年・蓮見幹雄が顔下に血の塊を付け、喉元を何かでえぐられ側頭部は親指大の穴が穿たれた幹雄の死体を発見した。また同家に居るはずの安倍マユは見当たらず薄暗い奥の居間から異様な臭気が漂うのみ。
永松要吉の知らせを受け、氷橋を作るために木を伐採していた男達が太田家に急行し現場を確認。夥しい鮮血と様子から熊に襲われたと判断。男性達は太田家から500m程下流の明景安太郎の家に集まり対策を話し合った。ヒグマ討伐やマユの遺体奪回は翌日にせざるを得ないが、とり急ぎ役場と警察、そして幹雄の実家である蓮見家への連絡を取らなければならない。しかし通信手段は誰かが直に出向くより他になく、一度はある男が使者役に選ばれたが本人が嫌がったため、代わりに斉藤石五郎が引き受けることとなった。

【1915年12月10日・・1回目の襲撃】
翌12月10日斎藤石五郎は出発。残された男達は猟銃を持っている者を含め安倍マユの捜索へ出発。
約30人の捜索隊を結成し昨日の足跡を追って森に入った一行は150mほど進んだあたりでヒグマと遭遇。うろたえながらも鉄砲を持った5人が熊に向け発砲。しかし銃の手入れが行き届いていなかったため玉が出たのは1丁だけ。怒り狂うヒグマに捜索隊は散り散りとなりながらヒグマは逃走に転じたため被害はなかった。周囲を捜索した結果トドマツの根元に小枝が重ねられ血に染まった雪の一画に、黒い足袋を履きぶどう色の脚絆が絡まる膝下の脚と頭蓋の一部しか残されていないマユの遺体を発見。捜索隊はマユの遺体を持ち帰り幹雄とマユの通夜が行われたが、餌を横取りされたとしてヒグマが必ず戻って来ると知っていた村人は通夜に参加せず、残された家族親族らの9人だけが太田家で通夜を行った。外が暗くなり家人らは亡骸を前に酒を飲み交わしている午後8時半頃、大きな音とともに居間の壁が突如崩れヒグマが室内に乱入。棺桶が打ち返されて遺体が散らばり、そこにいた村人らは天井に上がる者や逃げ惑う者がいたが、石油缶を打ち鳴らし撃退しようとする者がおり、それを皮切りに皆がそこらに有るものを叩き始める。その騒ぎを聞いた近隣の家から50人程の男達が現れ熊は山へ逃走。このヒグマは人間の肉の味を覚えた。マユの亡骸を雪に隠そうとしたのは保存食にするための行動だった。一度口にした獲物に強い執着を示し、奪われたものを取り返しに来るヒグマの習性を熟知した村のある男性は「ヒグマはまた来る」と熊撃ちの猟師が言い放った

ちょっと一服・・・
◆ここまでで村人らが野生の熊に対し間違った行動をしています。先に述べた熊の習性を知っているならここまで被害は広がらなかったでしょう・・・。しかし身内の死体は放置できませんからね。
間違い・・その1:軒下のとうもろこしを食べられた後処理が中途半端だった。
間違い・・その2:捜索隊が熊を見つけて発砲した
間違い・・その3:マユの遺体を荼毘に期すため持ち帰った。

太田家で熊の再襲撃を受けている頃、太田家の隣家である明景家に、明景安太郎の妻・ヤヨ、長男・力蔵、次男・勇次郎、長女・ヒサノ、三男・金蔵、四男・梅吉の6人と、斉藤家から避難してきたタケ、巌、春義の3人、そしてオドの合計10人(タケの胎児を含めると11人)がいた。前日の太田家の騒動を受け、避難した女や子供らは火を焚きつつおびえながら過ごしていた。明景家の護衛は他の場所に食事に出かけたが太田家でのヒグマ再出没の報を受けて現場に行ったため男手として残っていたのはオドだけであった。

少し休憩・・・
◆読んでいて被害者を含む人らの関係図とこの時点での被害者等が解りづらいので一旦まとめます。
・池田家(熊襲撃:11月初旬)
 池田 富蔵_生存
 富蔵の妻_生存
・太田家(熊襲撃:12月9日、10日)
 太田 三郎_生存
 内縁・阿部 マユ_死亡(12月9日没)
 居候・長松 要吉_(2回目の襲撃、12月10日明景家にて重症)
 居候・蓮見 幹雄_死亡(12月9日没)
・明景家(太田家から500m程下流に位置した住宅)
 明景安太郎_生存
 明景安太郎の妻・ヤヨ_(2回目の襲撃、12月10日重症)
 長男・力蔵_生存
 次男・勇次郎_生存
 長女・ヒサノ_生存
 三男・金蔵_(2回目の襲撃、12月10日没)
 四男・梅吉_(2回目の襲撃、12月10日没)
・斉藤家(この一家は太田家に来ていて被害に遭う)
 斎藤石五郎_村を出て警察へ通報で不在
 妻・タケ_(2回目の襲撃、12月10日没_胎児死亡)
不詳・巌_(2回目の襲撃、12月10日重症)
不詳・春義_(2回目の襲撃、12月10日没)

【1915年12月10日・・2回目の襲撃】
太田家でマユの通夜を行っていた最中に熊の再襲撃を受け、その騒ぎに明景家にいた男連中が太田家に向かい山へ逃げたと思われた熊は明景家方面に向かっていた。太田家から熊が居なくなった20分後に明景家の窓を突き破り侵入してくる熊。長松 要吉を襲うが当事妊婦だった斎藤タケが襲われその場で腹を割かれる。太田家に集まっていた男らは激しい物音がする明景家に向かう最中に傷を負ったヤヨと勇次郎と梅吉の3人と会い事情を聞き急行する。


ies_1044016.jpg

ies_1044008.jpg


外から見る家中は真っ暗で、ただ何か硬い物を潰す音と肉を啜る音、タケと思われるうめき声が聞こえる。
男達は家の左右から挟み撃ちのように銃を配置しくまを威嚇。相変わらず用意された銃から玉が出ることはなく、この騒ぎに併せ熊は逃げた。熊がいなくなった家中には、斎藤家のタケ、同じく春義、明景家の金蔵が死体で発見され、斎藤家の巌が重症で見つかる。

【1915年12月11日】
村人らは何も出来ずに警察へ連絡に行った斎藤石五郎を待ち石五郎の妻タケが死亡したことを告げる。1915年12月11日の時点で、死者が7名、重傷者3名の惨事となる。

【1915年12月12日】
この事件は道庁まで報告され北海道庁警察部保安課から羽幌分署長の菅貢警部に対し討伐隊の組織が指示され近隣の青年会や消防団または志願の若者やアイヌたちにも協力を仰ぎ、村田銃や刃物類など、中には日本刀を携えた者を含め、多くの人員が三毛別に集まった。また死亡者の検死のため馬橇で一足早く現地に乗り込んだ医師は、正午頃山道でヒグマの糞を発見した。それを検分し中から人骨や髪の毛また未消化の人肉を見つけ医師は戦慄に立ちすくんだ。一方菅警部は。副隊長には土地勘がある帝室林野局(現在の林野庁)の人物を置き、隊長の菅警部は要所を固める一方、討伐隊を差し向けた。今回は熊の習性を利用しそれぞれの遺体を元に戻すことで熊をおびき寄せる作戦だった・・が徒労に終わる

【1915年12月13日】
熊はは村人不在の家を荒らし回り鶏を食い殺し味噌や鰊漬けなどの保存食を荒らし服や寝具などをずたずたにしていた。その中でも女が使っていた枕や、温めて湯たんぽ代りに用いる石などに異様なほどの執着を示していた。熊は味を占めた人間の女という獲物が見つからず、昼間であるにもかかわらず大胆に人家に踏み込むなど、警戒心が薄れており行動域がだんだんと下流まで伸び自ら発見される危険性の高まりを認識できていなかった。羽幌分署長の菅隊長は氷橋を防衛線とし撃ち手を配置し警戒に当てた。

ies_1044004.jpg
ここまで勇敢な人はいないようです。

そして夜、橋で警備に就いていた一人が、対岸の切り株が六株あるはずの切り株が明らかに1本多く、しかも微かに動いているものがある。報告を受けた菅隊長が、「人か、熊か!」と大声で誰何するも返答がない。意を決し、隊長の命令のもと撃ち手が対岸や橋の上から銃を放った。すると怪しい影は動き出し闇に紛れて姿を消し又もや逃げられた。

【1915年12月14日】
山本兵吉というマタギが討伐隊に入りました。

ies_1044005.jpg


兵吉はロシア製ライフルを手に数多くの獲物を仕留めた実績を持ち、しかし酒癖が悪いことから警察は討伐隊任命に躊躇してたが三毛別村・六線沢村兼任村長である大川与三吉の独断で決定された。兵吉は風下から熊に近寄り銃を構え引き金を2回だけ引いた。一発目はヒグマの心臓近くを、二発目は頭部を正確に射抜いた。12月14日午前10時、轟いた銃声に急ぎ駆けつけた討伐隊が見たものは、村を恐怖の底に叩き落したヒグマの屠られた姿だった。ヒグマは重さ340kg、身の丈2.7mにも及ぶ、エゾヒグマとしては規格外の巨体を持つオスで金毛が混ざる黒褐色の体躯には胸から背中にかけて「袈裟懸け」と呼ばれる白斑があり推定7 – 8歳。体に比べ頭部が異様に大きいという特徴
以上が三毛別村で起きた熊事件ですが、熊の習性を知り適切な対応が出来ていたらここまで被害は大きくならなかったであろうと思われます。またこれに類似した件で1970年7月日高山脈で起きた福岡大ワンゲル部・ヒグマ襲撃事件が有ります。当事、鳥取大パーティーと似たようなルートを通るが福岡大だけが襲われるのが熊の習性からであると思われます。

ヒグマによる人身被害のまとめ
明治11(1878). 1 北海道丘珠村 猟師・村民幼児含む3名死亡/他2名重傷 ※食痕2名【札幌丘珠事件】
明治37(1904). 7 北海道下富良野町 少女(11)死亡【下富良野事件】
大正 2(1913).   北海道沼田町奔々 男児(?)死亡
大正 4(1915).12 北海道留萌苫前村三毛別 村民胎児含む7名死亡/他3名重傷【三毛別羆事件】
大正12(1923). 8 北海道沼田町 猟師・村民4名死亡/他4名重傷【石狩沼田幌新事件】
大正14(1924). 9 北海道真龍 林務官1名死亡(殉職)/他1名負傷
昭和13(1938). 8 北海道北千島幌筵島(現ロシア・バラムシル島) 漁師1名死亡【幌筵島事件】
昭和13(1938).秋 北海道中山峠 道路作業者1名死亡 ※食害
昭和24(1949). 7 北海道大雪山旭岳 登山中男性1名死亡/他8名無事【大雪山事件】
昭和36(1961). 4 北海道枝幸郡 猟師男性(53)死亡 ←2013.6追加
昭和37(1962). 9 北海道標津町 猟師男性(73)死亡
昭和37(1962).10 北海道標津町 猟師男性(60)死亡
昭和39(1964). 9 北海道門別町 小5少女(11) 登校中に襲われバラバラにされ死亡
昭和40(1965). 8 北海道猿仏村 造材男性(52)死亡
昭和44(1969). 8 北海道千歳市 女性(78)死亡 
昭和45(1970). 7 北海道日高山脈カムイエクウチカウシ山 登山中大学生(18・21・23)3名死亡/他2名無事 福岡大ワンゲル同好会事件
昭和46(1971).11 北海道滝上町 狩猟男性(68)死亡
昭和48(1973). 9 北海道厚沢部町 林業男性(45)死亡 子熊を連れた母熊に40㍍引きずられ、全裸に近い状態で発見。
昭和51(1976). 6 北海道千歳市 山菜採り男性(54・58)2名死亡/他3名重傷 ※食痕1名【風不死岳事件】 襲われ足の筋肉部を喰われた
昭和52(1977). 5 北海道大成町 山菜採り男性(55)死亡 
昭和52(1977). 9 北海道大成町 渓流釣り男性(36)死亡 
平成 2(1990). 9 北海道森町 キノコ狩り男性(75)死亡 
平成11(1999).11 北海道木古内町 渓流釣り男性(47)死亡
平成12(2000),11 北海道平取町 狩猟中男性(73)死亡
平成13(2001). 4 北海道白糠町 山菜採り女性(42)死亡
平成13(2001). 5 北海道札幌市 山菜採り男性(52)死亡
平成13(2001). 5 北海道門別町 駆除男性(81)死亡  
平成17(2005). 9 北海道白糠町 無職男性(74)死亡
平成18(2006). 6 北海道新ひだか町 山菜採り男性(53)死亡
平成18(2006).10 北海道浜中町 駆除ハンター男性(59)
平成20(2008). 4 北海道北斗市 山菜採り男性(50)死亡/他2名無事
平成20(2008). 7 北海道松前町 駆除ハンター男性(67)死亡 
平成20(2008). 9 北海道標津町 釣り男性(58)死亡
平成22(2010). 5 北海道むかわ町 山菜採り男性(70)死亡
平成22(2010). 6 北海道帯広市 山菜採り女性(66)死亡
平成23(2011). 4 北海道上ノ国町 山菜採り男性(63)死亡
平成25(2013). 4 北海道せたな町 山菜採り女性(52)死亡
まとめ参照は【人喰い】日本における食害事故~ヒグマ編から抜粋しました。
ただし、本項では野生の熊と言うことでクマ牧場やイベント、公園等でのクマ被害は記載せず。

これから紅葉の季節。一般観光地で熊と出会うというのは0%に近いでしょう。しかし渓流釣りやハイキング等で人里から少し山に入る場合はクマ対策をしたほうが良いと思います。何故かというと数年前と違い異常気象による山間部における野生動物の餌となる食物不足。熊の生活エリア近くまでに入り込んだ人間の行動範囲により人間を脅威と感じることはなく、逆に荷物から食料の臭がする等が近年見られ実際に住宅地にまで熊は出没しています。
野生エリアに行く場合は熊よけスプレーが効果的であり、保険代わりに1本は用意されることを望む。

ELEANOR:久しぶりの長文です。以前より三毛別村の事は自分なりにまとめようと思っていましたので良い機会でした。改めて自然界における食物連鎖は力によって決まるものだと思い知らされます。この記事を富士山世界遺産登録記念にしたいと思います。

さて、ここからの続きが有りますが写真のみです。近年アラスカで灰色熊の襲撃で命を落とした方らです。
モザイク等はしておりませんので気が進まない方は、閲覧をやめて下さい。
近年はカメラ精度が上がりHD並に鮮明です。が、見る方は食事前後の閲覧は控えたほうが良いでしょう。




ies_1044015.jpg

ies_1044014.jpg

ies_1044013.jpg

ies_1044007.jpg

関連記事
スポンサーサイト
コメント















 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
 
http://eleanor5000.blog66.fc2.com/tb.php/300-ce33ffb5
リンク
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
ニュース
245位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
海外
31位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。